まさに「衝撃的」といっていいほどのインパクトを持ったファーストミニアルバム。収録曲こそ6曲と少ないが、フィッシュボーンというバンドの特徴、魅力を物語るのに十分な、勢いにあふれた一枚。スカ、ファンク、レゲエ、パンクといった要素が渾然一体となっり、若さにまかせて爆走するその音楽性は、明らかにそれまでの「ブラック・ミュージック」の枠を大きくはみ出していた。 プロデュースはバングルズなどを手がけてきた事で知られるデヴィッド・カーン。彼がフィッシュボーンを発掘し、CBSと契約させた。この後「Truth and Soul」までプロデュースを担当することになる。 驚くべき事に、デヴュー時のメンバーの年齢は17~20歳だった。当時のメンバー写真には、どう見ても「L.A.貧困地帯の若いギャング」としか言えない出で立ちの面々が写っている。しかし、このバンドはデヴュー時から反権力指向、現代社会に対する批評性など、高い「社会性、政治性」を有していた。「Party At Ground Zero(=核爆弾投下地点でパーティー)」や「V.T.T.L.O.T.F.D.G.F.(=Voyage Through the Land of the Freeze Dried Godzilla Farts=フリーズドライされたゴジラの屁の国の旅)」などは当時続いていた米ソ間冷戦という状況の下で、誰もが抱いていた核戦争勃発への潜在的な恐怖感、狂気を描いている(ちなみにゴジラの主食は放射能)し、「Ugly」では俗悪な政治家を辛辣に批判している。 一方、定番曲「Lyin' Ass Bitch」ではフシダラで節操のない恋人にキレまくる男の心情をひたすら描いているなど、地に足のついた生活感と、先に述べたような政治問題を同じ感覚で歌にしてしまえるのも、彼らの特徴のひとつと言えるだろう。 スペシャルズ、マッドネスといったツートーンレーベルのスカバンドのセンスから一歩踏み込んだ、爆発的なパンク・スカを実現させたバンドが出てきたワケだから、これはもう驚愕としか言いようがない。後に、いわゆる「スカコア」とカテゴライズされる多くのバンドに与えた影響も計り知れない。フィッシュボーンミュージックの偉大な始まり。(mine-D)
フルアルバムとしては初の作品になる。プロデュースは引き続きディヴィッド・カーン。全体的に落ち着いた音作りがなされており、前作の衝撃と比べると正直やや物足りなさも感じる。よく言えば都会的で洗練されたサウンド、悪く言うと「おとなしい」音。前作での突っ走るような躍動感から、少し足を止めてじっくり彼らの引き出しを見せたといういべきか。 サウンドの特徴としては、彼らのルーツのひとつである、ファンク色がかなり前面に押し出され、なおかつわりあい「オシャレ」にアレンジされている事が挙げられる。全体的に、ゆるやかなグルーヴ感を感じさせる作品だ。また時代を反映してか、やや「80年代ニュー・ウェイヴ」を感じさせる楽曲もある(特に「A Selection」「In The Air」)。ストレイトなスカ、パンクは息を潜める事となった。 前作では見られなかったような曲に目を向けてみよう。たとえばバラード曲「Movement In The Light」に見られるメロディーの美しさは秀逸であり、彼らが素晴らしいメロディーメイカーでもあることを証明している。本作中で圧巻なのは「Turn The Other Way」。ホーンのフレイズが印象的な、実にクールなレゲエチューンで、まさに彼らにしか作り出し得ないサウンドである。 サウンド的変遷とは関係なく、バンドの姿勢としては一貫しており、高い政治性、社会への批評性など、彼らのとんがり方は他の作品と変わらない。核問題への言及も前作から引き続いている。(mine-D)
カーティス・メイフィールドのカヴァー曲「Freddie's Dead」で幕を開ける89年発表の作品。初期のスカ・パンク色の強いサウンドから、やや、「やわらかい」印象を残したセカンドを経て、ここへ来てバンドサウンドに大きく深みが出た感がある。初期の名盤と呼んでいいだろう。「Freddie...」は、フィッシュボーンのキャリアの中ではいちばんのヒットを記録した。「Ma and Pa」など、ノリのいいスカ・チューンや、「Subliminal Fascism」といったパンク・チューンもしっかりキメつつ、全体的にはファンク、パンク、スカ、バラードさらにはカントリー(と呼んでいいのか)…そんな音楽スタイルまで、実にヴァラエティに富んだ作品。 前述の「Freddie...」では、後のヘヴィ・ロック路線に通じるようなギターのリフが聴ける。強烈なアンチ・ドラッグのメッセージを込めた曲で、フィッシュボーンと同じく、ブラック・コミュニティのヘヴィな現実を訴え続けた先達、カーティス・メイフィールドの曲をハードアレンジでカヴァーするという、エキサイティングな試み。他にはブリブリにファンキーなノーウッドのベースが暴れまくる「Bonin' In The Boneyard」などが聴き所。 特にこのアルバムにおいて特徴的なのは、黒人低所特層社会における差別、貧困といった問題を正面から捉えた曲が多いことだ。先に触れた「Freddie...」を筆頭に、「1940年代に生まれたおれの両親。彼らは選挙権を持っていなかった」というフレイズで始まる「Slow Bus Movin'」や、「また殺人の悲劇が起こった 警官が若いブラザーを射殺したんだ」と歌われる「Ghetto Soundwave」。このアルバムで彼らが告発している問題の多くは、他の作品と比べてみても、ひときわ重い。にもかかわらず、音楽的には思わず体が動き出してしまうような、ダンサブルかつカラフルな印象を与えるサウンドなのだ。 こうしたヘヴィな手触りの曲の最後は、クリス・ダウドのリード・ヴォーカルによる美しいバラード「Change」で幕を閉じる。この上なくハードな現実の中にいて、手の施しようがないような惨状を目にし、無力感、虚無感に打ちひしがれながらも「この現状を変えられるはず」という希望、祈りを捨てない…。彼らのスピリットを凝縮したような名曲だ。(mine-D)
前作発表後に加入したギタリストのジョン・ビッガムがメンバーとしてクレジットされた最初の作品。本作と次の「モンキーの惑星」は、時代を反映してか、相当ヘヴィなアプローチがとられている。ギターの音といい、グルーヴ感といい、これらのアルバムはフィッシュボーンなりの「ヘヴィロック」表現ととっていいだろう。しかし、一般的な白人ヘヴィロックと違うところは、ハードかつヘヴィな音を鳴らしていても、けっしてフィッシュボーン的音世界に破綻がない点だ。ハードエッジな曲においても、緻密なコーラス、ホーンアレンジといった「フィッシュボーン節」は健在で、そういう意味では丁寧に「構築された」ヘヴィ・ロックだといえるし、逆にいうとこうしたサウンドは「素直にのりきれない」面もあるのだが、とにかく、他のバンドでは絶対実現できないようなユニークなヘヴィネス世界が本作において成立している、そのことだけは間違いない。もちろん、本来の持ち味であるスカ/ファンク・テイストも失われていない。 収録されている曲はいずれも粒ぞろいでクォリティが高いし、「If I were a...I'd」という曲の、それぞれ歌詞が違ういくつかの短いライヴテイクを間に挟みながら配置された曲構成は凝っていて飽きさせないし、量的にも十分すぎるほどだ。フィッシュとノーウッドによる、確かなグルーヴ感が全体を貫いており、このグルーヴ感、全体の雰囲気から、かなりP-Funk色が強い作品だとといえるのではないか。リズム隊の土台の上にいくつも積み重ねられた音によって重厚感を醸し出している。それでいてパンキッシュな疾走感を失っていないのは驚異的だ。社会的メッセージの強さも前作よりさらに増している。 ドラッグ問題に対するアプローチが多い事もこのアルバムの特徴として挙げられるだろう。「Junkies Prayer」(このチューンは、ヒップホップ・ユニット「ア・トライブ・コールド・クエスト」のQ-Tipにインスパイアされて作ったとクレジットされている)「Pray To The Junkiemaker」などずばりそのもののタイトルの曲はもちろん、他の曲にも随所にドラッグに対する言及が見られる。 このバンドはメッセージ性と音楽性の両立というできている数少ないバンドのひとつだと思う。社会的メッセージを世に広めるための手段として音楽を作るアーティストはいる。あるいは「音楽が好きでやってるだけ」で、特に伝えたいメッセージなどはない、メッセージはあってもオマケ的なものにとどまっているアーティストは多い。しかし、両者それぞれを同時に高い水準にキープしているバンドはそう多くはなく、そのひとつがフィッシュボーンだと思う。このアルバムに収められている「Pray to the Junkiemaker」。音だけ聴いていれば、南国を思わせるような軽快なレゲエのリズムで、思わず踊り出したくなるような曲だ。しかし歌詞をチェックしてみると、周りの人々がドラッグによって身を持ち崩していくハードな現実に対する怒りに満ちた曲だったりする。こういう芸当ができるのはフィッシュボーン以外にいないと思う。 「Everyday Sunshine」。生きることはつらいことだ。その事を十分すぎるほど理解した上で、それでも「毎日太陽が降り注ぐ世界」に希望を持ち続ける、強靱でポジティヴな姿勢が結晶化したような曲。こういった思想性は筆者にスライ・アンド・ザ・ファミリーストーンを想起させる。個人的には彼らのレパートリーの中でいちばんの名曲だと思っている。 本来なら、彼らはこのアルバムでブレイクするはずだった。バンドがいちばん乗っていた時期だと思うし(それは作品を聴けば分かることだ)、どう考えてもクォリティの高い曲ばかりだ。全体的なバランスも抜群だと思う。にも関わらず、結果的にたいした売り上げを記録することはできなかった。(mine-D)
フィッシュボーン史上もっともハードコアなナンバー「Swim」で幕を開ける本作。この作品と前作を併せて「ヘヴィ・ロック2部作」と呼ぶことができるかもしれない。こうしたヘヴィ・ロックサウンドへの取り組みは、オリジナルギタリスト=ケンダル・ジョーンズの意向が強く反映していたらしい。この作品のクォリティも、前作同様かなり高い。が、ここでは前作の一部に見られたようなユーモラスな感覚はそぎ落とされ、よりシリアスな世界観が展開されている。 これは前作にも共通して言えることだが、すべての曲において音の厚みが凄い。例えばP-Funkのライヴのように、怒濤のごとく繰り出される音数の波に翻弄されるのと同時に、ぶっといグルーヴ感が体中にしみ込んでくる…。そんな印象のサウンドだ。 印象に残る曲を挙げてみると、まず、おそらくは黒人女性の事を歌っていると思われる、悲しげな「Black Flowers」。「それでも夢見る事をやめない。愛し続ける」と歌うクリス・ダウドのヴォーカルが切ない。「Unyielding Conditioning」は抜群にメロディのいいオールド・スタイルのスカ・ナンバー。こういう曲を聴くと、本当にフィッシュボーンは素晴らしいスカ・バンドだと感じさせられる。他にはもろにP-Funkを感じさせるぶっといグルーヴの「Properties Of Propaganda」などなど。 クリス・ダウドがヴォーカルをとる曲は前作から増えてきていたが、この作品でも「Servitude」「Black Flowers」「End the Reign」など(未確認だが、おそらくこれらの声はクリスだと思う)でリードヴォーカルをとっている。アンジェロの攻撃的なヴォーカルとは違い、彼の声にはある種内向的な独特の雰囲気があり、いいのだ。クリスによる曲は、フィッシュボーン・ミュージックの一側面として確立されたと言っていいだろう。 他のアルバムでは見られない、少しユニークな曲は、ジャズの名サックス・プレイヤー、ブランフォード・マルサリスがソロを吹いている「Drunk Skitzo」(「飲んだくれの分裂症」)。「アヴァンギャルド・パンク」と呼べばいいだろうか、特にアンジェロ・ムーアの持ち味が影響しているのだろうが、バカバカしさと狂気に満ちあふれた、すばらしい作品だ。 なお、邦題の「モンキーの惑星」についてだが、筆者など最初見たときは「なんという適当な邦題をつけやがる」と憤慨したものだが、実は映画「猿の惑星」で描かれているテーマが「人間の傲り高ぶりに対する痛烈な批判」だったという事と、このアルバムのタイトルが「猿に脳みそをやってみろよ、『おれが世界の中心だ』って言い出すぜ」である事を考え合わせると、この邦題もあながち的を外しているとは言い難いのだ。もちろん、当時のレコード会社の担当者がそこまで深く考えていたかどうかは定かではないが。(mine-D)
ギタリストのケンダル・ジョーンズが、父親の影響でカルト宗教にはまり、バンドを脱退してしまう、クリス・ダウドもバンドを脱け、レコードは売れず、古巣ソニーからは首を切られ…とバンドにとってはとてつもなくハードな出来事が続いた末、ボーイズIIメン、TLCなどを手がけたプロデューサー、ダラス・オースティンの有するRowdy Recordsからリリースされたのがこの作品。 基本的には、前作までの路線を踏襲した、わりあいハードなサウンド。ここに見られるのは、紛れもなくフィッシュボーン的音世界だが、前作までと比べると、どうにも空回りしている感じだ。これ以前の作品に見られたようなカラフルな印象がなく、いわば「彩度が低い」という感じ。また、表現に余裕がなくなっているような印象も受ける。まあ、バンドの状況を考えると無理もないのだろうが…。 アンジェロが1995年から始めているポエトリー・リーディング・ソロプロジェクト「Dr.MaddVibe」からの影響も出ており、「Interlude 1」「同2」はまさに彼のソロ作で見られるようなポエトリー・リーディング作品となっている。 分かりやすいヒップホップでもなくR&Bでもない、ロック、スカ、パンク、ファンクを混合した特異な音楽スタイルを貫き通したブラック・アーティストとして、フィッシュボーンは真に革新的であったし、意味のある事をやってきた。しかし、結局マーケットは彼らを受け入れなかった。彼らは一度もブレイクする事なく、ここまで来てしまった。なぜか。いちばん大きな原因のひとつに黒人差別がある。自分たちを取り巻く音楽産業自体に初めて直接言及した「Rock Star」においてアンジェロは、こう述べている。
音楽産業…白人のロック・スター どこもかしこも…白人のロック・スターだ (中略) ほんの少しの…黒人のロック・スター ただの記念に…黒人のロック・スター ケンの立つ事を歌ったりはしない 黒人のロック・スター我々リスナーは、無意識のうちにこういった差別を行っている。売れているロック・バンドはみんな白人バンドばかりだ。白人はロック、黒人はヒップホップ、R&B…という、無意識の先入観念が、送り出す側にも受け取る側にもある。もちろん例外がない訳ではない。しかし、今の音楽産業をざっと見回してみた時、こうした構図ははっきりと際だって見てとれる。なぜ黒人のロック・バンドは売れないのだ。 日本盤タイトルは「フィッシュボーンの逆襲」だ。しかし、残念ながら彼らはこの作品においてはリベンジを果たすことができたとは言えない。これは彼らの敗北であると同時に、我々リスナーの敗北でもある。(mine-D)
実に4年振りにリリースされたオリジナルアルバム。その間にフィッシュ、ジョン・ビッガムの2人も脱退し、けっきょくバンドに残ったのはアンジェロ、ノーウッド、ダーティ・ウォルトの3人のみになってしまった。新たに3人のメンバー(スペイシーT、ジョン・マクナイト、ジョン・ステュワード)を加え、さらにはジョージ・クリントン、バッド・ブレインズのHR、ペリー・ファレル、レッド・ホット・チリ・ペッパーズからはフリー、ジョン・フルシアンテ、チャド・スミスといった、そうそうたるメンバーをゲストミュージシャンに迎えて制作された。こうした経緯からか、このアルバムの名義は「Fishbone and the Familyhood Nextperience」となっている。 一聴したところ、サウンド的には単純に「大人しくなった」というのが素直な印象だ。以前「The Reality of my Soroundings」や「Give a Monkey a Brain...」で見られたようなヘヴィロック表現は影を潜め、どちらかというと聴き心地のいいレゲエ、ミドルテンポのスカ、R&Bなどの曲で固められている。とはいえ、メロディのよさ、グルーヴ感といった、彼ら本来の持ち味失われていない。 個人的な聴き所を挙げておくと、P-Funk色濃厚でゆったりとしたグルーヴを聴かせる1曲目の「Shakey Ground」、思想的に彼らと通じるものがあると思われるスライ&ザ・ファミリーストーンのカヴァー「Everybody Is A Star」(ジョージ・クリントンをはじめ、多数のゲストヴォーカルが参加している)、スウィングしている「Karma Tsunami」などだろうか。 以前のような爆発的な躍動感は感じられないし全体的に「ゆるい」印象は免れないが、バンド自体が苦しい時期を通過した末での「仕切直し」的意味合いが強い作品だと言える。2000年夏にフジロックのため来日した際、「Juice」というミニコミ誌のインタヴューに答えてノーウッドが次のように述べている。 「(前略)このアルバムはフィッシュボーンにとっての新しい始まりのようなもんなんだ。考えてみると、おれ達が最初にバンドを始めた頃に戻ったような…。だけど同時に、フィッシュボーンの目指す未来でもある。(後略)」 今現在のバンドをそのまま切り取ったという意味で、なんというか「ショウケース」的性格を持つアルバムだという印象も持つが、いずれにせよ、このサウンドが彼らの新たな「原点」になるはずだ。これから彼らのサウンドスタイルがどのように変化していくのかは分からないが、すばらしく意味のある音楽という点ではきっと変わらないことだろう。フィッシュボーンはまだまだくたばってなどいない。これからも転がり続けるのだ。
前作との間に、ライヴ盤スタイルでリリースされた「Live at the Temple Bar and More」や、初のライヴDVD作品「Live in Amsterdam」などを挟んだものの、オリジナルアルバムとしては実に6年ぶりにリリースされた本作。ここまでたどり着くには、バンドは様々な困難を乗り越えなければならなかった。 前作「サイコティック・フレンズ」以来ギタリストとして活躍してきたスペイシーTだが、彼の友人が撮ったフィッシュボーンの映像を、DVD 「Critical Times」として勝手に発売してしまうというトラブルがあり(このDVDをフィッシュボーン側は認めておらず、「買うな」という声明をサイト上で発表した)、その絡みもあってスペイシーTが脱退してしまう。そしてついにはオリジナル・メンバーで、長年バンドと連れ添ってきたダーティー・ウォルトも脱退してしまい、バンドは結成以来何度目かの危機を迎えた。 普通のバンドだったら、何年も売れないまま活動してきた上にこれだけ何度も危機的な状況に置かれたら、とてもバンド続けていこうという気にはならないだろう。それでもこのバンドは体勢を立て直し、まずはSilverbackというマネジメント会社にきちんとしたマネジメントを託し、元スーサイダル・テンデンシーズのロッキー・ジョージや、ドレ・ギプソン等、新たなメンバーを迎え、ついにこうやってアルバムをリリースするところまでこぎつけた。 そして内容はというと…結論から言うとこれはもう素晴らしいとしか言いようがない。上で述べたようなハードな状況を経てきたのが信じられないくらい、躍動感にあふれたサウンドだ。スカ、レゲ、パンク、ファンクにヘヴィ・ロック、ハード・ロックといったごった煮サウンドのオリジネイター面目躍如というか、初期のサウンドに戻ったというか、本当に「フィッシュボーンらしい」音に仕上がっているのがうれしいところ。しかしここまではじけている音を聴いていると、とても20年以上キャリアのあるバンドとは思えない。あり得ない。 「Jack Ass Brigade」や「Let Dem Ho's Fight」「Frey'd Fuckin' Nerve Endingz」「Premadawnutt」などのパンキッシュな曲はこれでもかというくらいクレイジーにすっ飛ばしている。才能あふれる新メンバー、ドレ・ギプソンの随所におけるヴォーカルやコーラス、あるいはドラマーのジョン・ステュワードが「Faceplant Scorpion Backpinch」でラップを披露しているあたりが、新しい魅力と言えるだろう。ちょこっと出てくるメキシカンテイストのトランペットもおもしろい。それと、「Party With Saddam」や「Forever Moore」なんかのスカ・チューンの素晴らしさは、改めて特筆すべきものがある。 「We Just Lose Our Minds」や「Behind Closed Doors」といった、社会的メッセージとブルーズがないまぜになったような曲も、フィッシュボーン節健在という印象だ。また随所にユーモアも込められていて、まさに「This is Fishbone」という一枚。また「サダムともキム・ジョンイルともパーティーしようぜ!流れる血は同じだぜ」という「Party With Saddam」のメッセージは、フィッシュボーンにしか言えないだろう。素晴らしい。 ぜひとも現メンバーでじっくり腰を据えて、バンドとしてさらに進化していってほしいと、心から願っている。
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